「2010年06月」の記事一覧

世界に誇る大阪の偉人。



とうとう今日開幕ですね!
『ワールドカップ』
これからまた
寝不足の人たちが増えそうですね。
かくいう私もそうなりそうです。。
海外では日本の『美』というのが
高く評価されているそうです。
季節や建築、振る舞いなどがあげられますが、
『川端康成』の情緒ある作品も
その一つといえると思います。
特に、
『雪国』は日本人で3番目となるノーベル賞受賞のきっかけとなった作品でもあります。
『川端康成』ですが、
実は大阪生まれなんですね。
明治32年の今日、
天神橋筋一丁目で生まれたそうです。
現在も誕生の碑というのがお店の店先にあります。
しかし、
ここで過ごしたのはわずか一年だったそうです。
『川端康成』が生まれて医師であった父がなくなり、
翌年、母も相次いでなくなり、
唯一の姉弟である姉も11歳のときに亡くなったそうです。
両親が亡くなってからは祖父母に育てられていましたが、
その祖父母も『川端康成』が16歳になる頃には亡くなってしまい、
孤児となりました。
これらの幼少期に経験したことが哀愁のある作品のもととなり、
『川端康成』の作家としての原点になっているのかもしれません。

ワールドカップ開催間近☆

いよいよ明日からワールドカップ開幕っ!!4年に一度のサッカー世界一の国を決める大会が南アフリカで開幕します。ガンバ大阪のからはMFの遠藤選手が選出されています。遠藤選手の活躍と日本代表の勝利を願って応援します☆サムライスピリッツでグループ突破だ!!

大阪の町を作ったのは『豊臣秀吉』??



今日も一日暑い日ですね。
ビールがおいしい季節に
なりつつあります!
大阪といえば
『豊臣秀吉』といわれますが、
実は、
今の大阪の町作りを担ったのは
『松平忠明』といわれています。
『大阪夏の陣』で疲弊しきった大阪の町。
多くの町人も大阪から去っていきました。
その町人を戻すため、
『徳川家康』はキレ者であり、自身の孫にあたる
『松平忠明』を大阪の城主としました。
『松平忠明』は町の再生のため、
町の割り振りをしたり、
船を通すための堀川を掘ったり、
寺や墓地を一ヶ所に集めたりなど
さまざまな事業をおこないました。
『松平忠明』が大阪城に来てから4年後。
大阪の町は整備され、町人が戻ってきたそうです。
大阪城の近くには、
『松平忠明』への感謝を込めた『鐘』が今も鳴り響いています。

夜の中ノ島はおすすめです!



最近なにかと『中ノ島』あたりを
ウロウロする機会が多いのですが、
工事も一段落してきれいになりましたね。
おしゃれなカフェも出来て、
夜の散策にもいいスポットになりそうです。
そんな中ノ島から本日は
『中ノ島中央図書館』
の話。。
この図書館。
皆さん行ったことはありますか??
実は私も一回しか行ったことがないのですが、
ほかの図書館とは建てられた経緯が違うんです。
それは明治21年。
大阪唯一の図書館『書籍館』(しょじゃくかん)が
経営難で閉鎖されたことから始まります。
市内の人々は再開の声を上げますが、予算がなく
なかなか受け入れられませんでした。
そんな中。
それを聞いた、住友吉左衛門が、
なんと!当時のお金で建設費20万、
図書購入費5万の寄付を申し出たのです!!
この寄付をきっかけに、
住友家の技師、野口孫市(当時28歳)をはじめ、
住友家の人々を中心に『中ノ島中央図書館』は誕生したのです。
そんな『中ノ島中央図書館』は
現在、70万冊、三千人以上が訪れる大阪最大の図書館といわれ、
『中央公会堂』とともに、”大阪商人”たちの遺産として今も輝いています。

中ノ島の『風邪引き新地』!



今日は、
昨日とうって変わって雨模様。
天気や気候がこんなに変わると
風邪をひきやすくなってしまいますね。
そんな話から今日は
前回、ご紹介した
『難波橋』の北側にある
『中ノ島』の『カゼヒキ新地』の話。
1760年ごろまで、
中ノ島の東側の最先端は、現在の中央公会堂あたりまでで
その東端は
『山崎ノ鼻』
と呼ばれていました。
当時、
“先端”のことを“鼻”といい、
その東端にあったのが山崎主税助厚義の屋敷。
(やまざきもんどあつよし)
それで『山崎ノ鼻』と呼ばれるようになりました。
その後、
その『山崎ノ鼻』の更に東側に新しく土地を作り、
築地したことにより人々に
『鼻からハナが出てきた!!』
と言われ
『風邪引き新地』
と呼ばれるようになりました。
大阪人らしい洒落っ気たっぷりの名前です。。