「2010年09月」の記事一覧
大阪から『オッペケペー!』
今日も暑い日が続きます。
ビールがすすみ過ぎて
サイフの中がちょっとやばいです。。
今日は
大阪で亡くなった一人の演劇人の話。
明治43年。
現在の住友信託銀行のあたりに
大阪初の様式演劇場、『帝国座』が建てられました。
この『帝国座』は収容人数1000人を収容でき、
花道やオーケストラボックスなどもあった当時としては豪華絢爛な劇場でした。
この劇場を作ったのは
当時、『オッペケペー節』という歌で有名になった
『川上 音二郎』その人。
この
『川上 音二郎』という人はなんとも破天荒な人だったそうで
船の積み荷に隠れて東京に出ていき、
そこでなんと!
『福沢 諭吉』に見いだされて慶応義塾の書生になったそう。
そのほかにも
警察巡査や新聞記者、寄席芸人など多種多様にわたった仕事をし、
そして、演劇界へと乗り込んでいったそうな。
その活動は『オセロ』や『ベニスの商人』などから
『女優養成所』を作ったりと、これまた多岐にわたり、
特に、
その名が有名になった『オッペケペー節』という世相を反映した歌で
なんと!フランスまでこの歌を歌いに行ったそう!
また、
この『川上 音二郎』の奥さん。
芸名を『貞奴』といい、日本初の女優といわれています。
また、
『川上 音二郎』が旅先で病に倒れたとき、
本人の希望で『帝国座』の楽屋へと運び、その最後をみとったそうです。
『帝国座』はその後
豪華絢爛なため財政難となり、進駐軍のチャペルとして使われたり、
北浜教会となったりしましたが結局取り壊され、現在は碑が残っているだけです。
それにしても、この碑。
『川上 音二郎』の字が間違っているのはどうなんでしょ??
沖田総司の頭が上がらない場所。。
今日から9月。
ですが、まだまだこの暑さ。。
台風も接近していてまだまだ夏は終わりそうにないです。。
今日は、
大阪の『今橋』を東に行ったところにあった“両替商”をご紹介。
江戸時代の頃。
お金は“金”“銀”“銭”の三種類ありました。
大阪では特に“銀”がよく使われ、
江戸の方では“金”がよく使われていたそうです。
そのため
江戸から来た人は、“金”から“銀”に変える必要があり
その“両替”をする『両替商』がこの『今橋』から東の通りに多くあったそうです。
そのはじまりは
『天王寺屋五兵衛』といわれております。
その後、
『平野屋五兵衛』という店もあらわれ
ちょうどこの二軒が道を挟んで店を構えていたところから
このあたりは
二軒の五と五を足して(なぜ足したのかわかりませんが・・。)
『十兵衛横町』と呼ばれていたそうです。
また、ここには度々
あの『新撰組』の“沖田総司”も
金銭のやりくりでお金を借りに来ていたとも言われています。
さすがの
“沖田総司”もここでは頭が上がらなかったでしょうね。。