大阪の偉人の足跡。。
1869年(明治二年)の今日。
日本の近代兵学の発展に努めた
『大村 益次郎』が亡くなりました。
1824年に長州藩(今の山口県)で生まれ、
蘭学に精通。
『緒方洪庵』が開いた“適塾”の塾頭にまでのしあがりました。
また、
ドイツ人医師『シーボルト』とも縁があり、
彼の最後を看取ったのは『シーボルト』の娘といわれています。
『大村 益次郎』の偉業としてよくいわれるのが
“日本陸軍の祖”といわれ
“長州征討”と“戊辰戦争”では長州藩兵を指揮し、
勝利の立役者ともいわれています。
また、
兵学校の教授役にもなり
その教え方も無駄がなく的確だったといわれています。
そのほか、
彼を題材にした小説・映画もあり
有名なものは『司馬 遼太郎』の“花神”がそれです。
また、写真は彼のお墓で、
京都で刺客に襲われ、
師匠である『緒方洪庵』の次男が勤めていた
『大阪府仮病院』に入院し
右足切断の手術施したにも拘らず、結局敗血症で亡くなる際、
『願はくは洪庵先生のお墓の隣に埋めてくれるよう』
という彼の遺言で切断された右足がこのお墓に眠っています。
ちなみに
このお墓があるところは天満の“竜海寺”です。
まさに大阪偉人の足跡!