「2010年06月」の記事一覧
一夜で四千句!!
今日は
昨日とうって変わって
晴天でした。
しかし、
ムッとする暑さが身に堪えます。。
大阪では生玉さんと呼ばれ親しまれている
『生國玉神社』
その生國玉神社は
『井原 西鶴』縁の地。
というのも
その昔『井原 西鶴』がなんと!
一夜で四千句を読んだといわれ、
“矢数俳諧”が行われた場所でもあります。
その時を表わした銅像が今も誇らしげに鎮座しています。
また、
この神社の下には『参堂の門』があり、
これは1912年(明治45年)に
“ミナミの大火”でこの辺り一帯が焼けてしまい、
その跡地に元々『宗右衛門町』に通す予定だった
“市電”をここ『千日前』に通したといわれています。
その証として、通りにある
『生國玉神社』の『参堂の門』が建てられ、
その証拠に
『参堂の門』には”大正三年”と刻まれています。
町というのはこうやってできていくんですね。。
堺筋の隠れた名建築
昨日の
ワールドカップすごかったですね!
日本が初戦を勝つことが出来るとは!
オランダ戦は今週土曜日。
街から人がいなくなりそうです。。
さて。
大和屋本店の西側をはしる『堺筋』。
この『堺筋』は『御堂筋』が出来るまで、
昭和12年ごろまでは
大阪のメインストリートとして週末は多くの人たちが訪れていました。
この『堺筋』。
現在もそのころの名残が多く残っているんですね。
今日は、
その一つを今日はご紹介。
灰色の無機質な建築群のなかで
一際目をひくアールデコスタイルの建築。
『生駒ビルヂング』。
平野町が賑わっていた昭和5年。
まだ時計が高級品とされていたころに
『生駒時計店』が本店として建てたのがはじまりで、
正面左側は時計店にちなんで振り子を模しているんだそう。
設計は
大阪の建築界を支えた一人、
『宗兵蔵』の宗建築事務所が請け負い、
他にはないモダンな建築で人々の目をひいたそうです。
現在は、
一階にカフェが入り、
その当時を思い浮かべながら
ちょっと一息するのもいいかもしれませんね。。
南森町があるなら・・・。
日本一長い商店街
『天神橋筋商店街』の中でも、
多くの飲食店やオフィスが並ぶところ。
『南森町』。
この『南森町』という地名から
一つ疑問が湧きました。
『南森町』があるなら
なぜ、 『北森町』がないのか・・・。
調べたら、実はあったんですね。
昔、
『北森町』は確かにあったんです。
その証拠に写真の右奥に
『北森町ビル』
というビルがあるんですね。
昭和53年。
それまで、
この『南森町』一帯はさまざまな地名がありました。
『北森町』
『金屋町』
『壷屋町』
『信保町』
『空心町』
など、
さまざまな町名がありました。
しかし、この年。
この辺り一帯の町名が合併され、
現在の地名となっています。
そして、
この『北森町ビル』はその町村合併前に建てられたビルで、
そのまま、その町名がビルに残されています。
年々、
地方財政の悪化などで市町村が合併されている昨今。
せめて、『町名』だけはどんな形であれ残してほしいものです。
西区にある○○発祥の地
昨日から、いや今日の朝から
大盛り上がりのワールドカップ!
開会式は民族的な衣装が踊り、
現地は音楽と熱気で溢れているのが
テレビを見ていてもよくわかります!
そういえば、
日本も2002年は国中が沸き立っていましたね。。
さっそくですが質問です。
みなさんは、”麺類”では何が好きですか??
『ラーメン』や『うどん』、『そば』、
この時期ならば『そうめん』や『ひやむぎ』
それに『冷麺』なんかもいいですね。
わたしはちなみに何でも好きです。
(『どないやねん!!』と、ツっこんだあなたは大阪人です。)
さて本題。
日本の”麺”代表の一つ
『そば』
の発祥の地がここ、
大阪は西区にあります。
その発祥の地の名前が
『砂場』
と呼ばれるところ。
この『砂場』。
その名前の由来は、
“大阪城”の主、『太閤秀吉』がその”大阪城”を築城させるため、
資材置き場の一つとしたのがこの『砂場』。
その『砂場』で働く人たちのため作られた食べ物が
『そば』だと言われています。
そのため、
そば屋さんの名前に『砂場』とつくところもあり、
そういうおそば屋さんを見つけてしまったら
おなかが減ってなくても食べたくなります。
それはさておき。
今現在、その『砂場』があったとされているところには、
大きな”石碑”が建てられ、今も立派にそびえています。
こういう”大阪の誇り”はドンドン残してほしいですね。
世界に誇る大阪の偉人。
とうとう今日開幕ですね!
『ワールドカップ』
これからまた
寝不足の人たちが増えそうですね。
かくいう私もそうなりそうです。。
海外では日本の『美』というのが
高く評価されているそうです。
季節や建築、振る舞いなどがあげられますが、
『川端康成』の情緒ある作品も
その一つといえると思います。
特に、
『雪国』は日本人で3番目となるノーベル賞受賞のきっかけとなった作品でもあります。
『川端康成』ですが、
実は大阪生まれなんですね。
明治32年の今日、
天神橋筋一丁目で生まれたそうです。
現在も誕生の碑というのがお店の店先にあります。
しかし、
ここで過ごしたのはわずか一年だったそうです。
『川端康成』が生まれて医師であった父がなくなり、
翌年、母も相次いでなくなり、
唯一の姉弟である姉も11歳のときに亡くなったそうです。
両親が亡くなってからは祖父母に育てられていましたが、
その祖父母も『川端康成』が16歳になる頃には亡くなってしまい、
孤児となりました。
これらの幼少期に経験したことが哀愁のある作品のもととなり、
『川端康成』の作家としての原点になっているのかもしれません。