『芸術は短し、貧乏は長し』
『芸術は短し、貧乏は長し』
昭和九年の今日に亡くなった
『直木 三十五』の最後の言葉だそうです。
毎年、
作家を目指す人たちの登竜門とされる
『直木賞』。
今年は
『道尾 秀介』さんと
『木内 昇』さんが受賞されました。
その『直木賞』の元となった
『直木 三十五』が大阪出身であることは
あまり知られていません。
大阪の当時、南区と呼ばれていたところにある
内安堂寺町(空堀のあたり)で生まれました。
薬局に勤めたり小学校の代用教員などをしたり、
また自ら会社をおこしたりしましたがどれもなかなか上手くいかず。
その後、
雑誌の編集の仕事を始めたころから小説を書き始めました。
当初、
ペンネームは書き出したころの年齢三一歳にちなんで
『直木 三十一』とし、
その後年齢を重ねるごとに数字を増やし改名していきました。
書く作品はどれも鳴かず飛ばずでしたが、
『直木 三十五』に改名したのち連載した
『南国太平記』で一気に売れっ子作家の仲間入りを果たします。
しかし、
売れた時期は短く、
すぐに病魔におかされ肺結核が原因で亡くなりました。
この時四十四歳。
その早すぎる死を悼み、
功績をたたえて友人の『菊池 寛』さんが
『直木賞』を立ち上げ、今日に至ります。
『芸術は短し、貧乏は長し』
一言で彼自身の人生を表しています。