『松平 忠明』はすごかった。


今日は梅雨らしくジメっとした天気。
これから当分は傘が必需品となりそうです。。
映画『プリンストヨトミ』では
徳川家は豊臣家を滅ぼした悪者になっていますが
徳川家の中にも大阪の為に尽力した人がいます。
それが
『松平 忠明』その人です。
大阪夏の陣の後、大阪は戦で疲弊しきっていました。
建物はすべて燃え尽き、人々も大阪から離れ町としての機能も失っていました。
そんな中
『徳川 家康』の孫にあたる『松平 忠明』が
1615年の今日。
大阪城の城主となり、その〝キレ者”といわれた才能を発揮しました。




まず最初にとりかかったのは
大阪を離れていった町人たちを呼び戻しで
その後、町割りをはじめ、堀川の開削や寺や墓地を一か所に集めたりなど
町の区画整備を行いました。
その結果、4年後には現在の大阪の原型となったのです。
大阪の町のために尽力を尽くした
『松平 忠明』を称え、大阪城の西側に『釣鐘』を町人たちが作り
現在もお昼になると鐘が鳴り響きます。