大阪、御堂筋物語



今日も朝から五月雨。
最近、
折りたたみ傘派が増えたような。
実は私もそうなんですが。
よく電車の中に忘れるもので・・。
今日は
大阪の『大動脈』の『御堂筋』の話。
大阪の市民や議員たちから
『こんなところに飛行場でも作る気か!!』
と、罵声を浴びたのは
時の第七代大阪市長 
『関 一』市長
というのも、
『これからの大阪は経済都市へと発展する。
そうなった時のために大阪のキタとミナミを結ぶ道路や鉄道が必要や!』
という思想をもとに大阪の都市改造が始まりました。
その一つとして、
淀屋橋筋という細い筋を43.6mにも拡張し、
その筋をミナミへと距離を伸ばしてそのすべてを道路して
さらに!その道路の下に地下鉄を走らせるという計画でした。
これには自分たちの先祖代々から受け継いで住んでいる
多くの町人や住民たちが
『私たちの生活はどうしたらええねや!』
『ここを出て行ったら商売できへん!!』
など、猛反発!
(そりゃそうですね。)
しかし、
『関 一』市長は
これからの大阪発展のためにと説得を続け、
昭和12年の今日。
梅田~難波、4.4kmにもなる
『御堂筋』が完成しました。
私たちが何気に使っている道路や地下鉄は、
さまざまな人たちの
生活や人生のうえで成り立っているのを考えないといけませんね。