「大阪」の記事一覧
『OSAKA 光のルネサンス』でみてほしいところ。
気がつけば。
このブログ更新数も『200』を超え、今回で203回目。
なんでもコツコツ積み重ねていけば積もるもんですね。
さて。
今日は現在中之島で開催中の
『OSAKA 光のルネサンス』でもイルミネーションされている
中ノ島に
堂々とそびえ立つレンガ造りの建物。
『大阪市中央公会堂』をご紹介!!
多くの大阪市民に愛され、
会議や催しなどさまざまなことに利用され、
最近は特に一般の方にもよく使われています。
また、
平成14年には国の重要文化財にも指定され
まさに!!大阪を代表する建築といえます!!
しかし、
この建物が建つまでに至った
”一人の大阪を愛する人”
『岩本 栄之助』については
あまり知られていません。
時は明治10年。
大阪市南区(現:中央区)の安堂寺橋通に
”岩本栄蔵”の次男として生まれた
その人、
『岩本 栄之助』。
彼は早くに亡くなった長男の代わりに家督を相続し、
そして、株式仲買人として活躍します。
そんな中。
彼の人生を変えることとなる出来事がありました。
米国からの招待で”渡米実業団”の一人として”渡米”するのです。
そこで彼は米国の実業家が社会貢献をする話や姿を見て感銘を受け、
『お世話になった大阪のまち・人々のため、
なにか”恩返し”は出来ないか』
と考えたそうです。
そこで、
彼は大阪の人々が使える
”公会堂”を建設することを考えたのです。
そこで彼は
当時の金額として『100万円』!!を大阪に”寄付”します!!
(現在のお金でいえば50億円とも100億円ともいわれます。)
この寄付の話は当時、大きな話題を呼び
大阪府や市も使うのに困ったそうです。
そして、
『大阪市中央公会堂』建設が始まりました。
しかし。
その数年後、彼に悲劇が訪れます。
”公会堂”の完成する2年前・・・。
彼は株取引で大損害を受け、
その責任を取り”自殺”を図ってしまったのです。
『大阪市中央公会堂』を見ることもなく・・・。
そして2年後。
当時の建物の多くが木造だった時代に最先端の公会堂として
『大阪市中央公会堂』は誕生したのです。
そして今年。
『大阪市中央公会堂』は今年で92周年を迎え、
今も大阪人にこよなく愛される建築として
今もその姿はイルミネーションがなくても輝き続けています。
大阪でドイツを満喫!
12月に入ってだいぶ寒くなり、
町も少しずつ『クリスマス』のライトアップを
しているところが増えてきました!
そんな中でオススメなのが、
梅田の
『スカイビル』で毎年行われている
その名も!
『ドイツクリスマスマーケット』が
今年も開催されています。
本場ドイツから運ばれてきた『木製メリーゴーランド』をはじめ、
中央にある『クリスマスツリー』の
大きさは圧巻!!
また、
ドイツの冬の定番!ホットワイン『グリューワイン』と
ドイツといえばソーセージ『ヴルスト』も絶品!!
ぜひ!この機会に大阪の『ドイツ』を堪能してみてください!!
忘・新年会のご予約はお早めに!
今年も残り一か月をきりました。
だんだん師走の雰囲気がまちにでてきたように思います!
年末といえば!
やっぱり『忘年会』!!
大和屋本店でも『忘年会』の受付を随時行っています。
人気の会席は
『ふぐ鍋フルコース』
http://www.yamatoyahonten.jp/meal/fugu.html
年忘れの忘年会にぜひ!
個室でゆっくりと
親しい友人たちといっしょにお楽しみください!!
また、
新年会も受付やってます♪
大和屋本店がTVで紹介されました!!
先日、
関西テレビの
『よ~いドン!』で
大和屋本店が取りあげられました!!
大和屋本店自慢の
ふぐ!!の通販
『うまいもん便』から
【ふぐ鍋セット四人前】が紹介され、
放送直後から大反響を頂き、
お問い合わせ・ご予約をたくさんいただきました!!
https://www.yamatoyahonten.co.jp/e-commex/cgi-bin/ex_disp_item_detail/id/F004/
ご自宅で本格的な『ふぐ鍋』をぜひご賞味あれ!!
今年もまた一つ年を重ねていきます。。
11月ももう暮れ。
おおみそか恒例の『紅白歌合戦』も出演者が決定し、
気が付けば今年ももうすぐ終わりです。。
毎年こうやって年を重ね、
変化していくわけですが、
町も同じく移り変わっていきます。
大阪の町でいうと、
代表的なものはやはり『橋』。
特に『心斎橋』はその時代時代に移り変わってきました。
最初、橋が架かったのは
元和八年(1622年)。
ここに『長堀川』ができ、
それをわたるために『橋』が出来ました。
その時に橋を架けた人が『岡田心斎』さんで
それから現在にかけて今も変わらずその名を残しています。
その時に『土橋』が架けられ
その後何度も流されながら『木橋』が架けられ、
明治6年には当時最先端のドイツ製の『鉄橋』が架けられ、
その姿を見に来る人たちもいたそうです。
さらに明治42年には大阪初!の
『石橋』でできた純洋式に変わり、
川面に映った橋のアーチの姿から『めがね橋』と呼ばれていたそうです。
そして現在。
自動車の発達で『長堀川』は埋められ、
『陸橋』となって現在もその姿を残しています。