「大阪」の記事一覧
あまり知られていない大阪スポット
今日の道頓堀周辺は
異様な熱気に包まれています。
夕方ごろからは青い服に身を包んだ
多くの人たちが長蛇の列をなし、
今か今かと待っている姿が
少し羨ましかったりも。。
さて、今日は
大阪にある
とあるスポットをご紹介。
阪急中津駅からすぐのところ。
とある道路の高架下・・・。
その雰囲気はさながら夜の
『ロンドン』のようにオレンジ色で染められています。
その正体は
とある『倉庫』群。
ここは
第二次世界大戦のころ。
“防空壕”として使われていたところでもあるところで
現在はカフェがあったり、お店があったりと隠れたスポットでもあります。
もちろん『倉庫』としても使われています。
また十数年前には、
毎週土曜日の夜に関西で放送されていた
今では考えられない
30分完結刑事ドラマ!?の
ロケ地にも使われていた場所でもあるそうです。
まさに
大阪の隠れたスポットなんですね。
『大坂』と『大阪』、どっちが正しい??
どんどん白熱してきた
『ワールドカップ』!
オーストラリア戦で
あれほど得点したドイツが
まさか0-1で負けてしまうとは。。
ドイツには
何度か旅行に行ったことのあるので
親しみがあっただけに残念です。。
さて、突然ですが、
『大阪』と『大坂』。
どちらが正しいでしょうか??
実はどちらも正しいのですが、
使われた年代が異なるそうです。
大阪城が出来る前にあったといわれる
浄土真宗の『石山本願寺』。
そこにいた『蓮如』という僧侶が
手紙で坂が多いこの地を表すとき、
『オサカ(小坂)』と書いたのがはじまりで、
後に『大坂』となったといわれています。
それから
なぜ『大阪』になったのか。
それは
『小坂』から『大坂』になったのと似ていると思います。
『小』よりは『大』。
元の字よりも、よりよい字をあてることが多く、
そのため、
土に返るという意味の『坂』から
のぼり坂という意味の『阪』へと
かえたといわれています。
(もちろん当時から『大阪』が使われていたこともあります。)
『字』は体を表すとはよくいったもんですね。。
梅雨はこれからですが・・・。
今日の道頓堀川は
この間の雨のせいか、
水かさが増して流木の破片が
粉がまき散るように流れていました。
その道頓堀川を目を凝らして
よく見てみると、
黒々した物体が!
しかも幾つも!
それは
右へ左へと不規則に動く
魚の群れ!
しかもその群れはいくつもあり
『道頓堀川にこんなに魚がいたなんて。』
と新たな発見に驚きました。。
また明日から雨の日が続くそうで、
ムッとする日々が始まります。
しかし、雨が降らないと
作物はもちろん、
さまざまな自然に影響が及びます。
鱧(はも)も例外ではありません。
その昔。
京の都に謙譲する物の一つとして
生命力が特に強かった鱧は、
生きたまま京都に持ってこれるところから
京都の名物となりました。
栄養価も非常に高く
また、調理方法も豊富で
『湯引き』や『造り』
『焼き』に『揚げ』
それに『しゃぶしゃぶ』も絶品です!
大和屋本店では
そんな『鱧』をご用意しております。
詳しくはこちら
http://www.yamatoyahonten.jp/meal/hamo.html
一夜で四千句!!
今日は
昨日とうって変わって
晴天でした。
しかし、
ムッとする暑さが身に堪えます。。
大阪では生玉さんと呼ばれ親しまれている
『生國玉神社』
その生國玉神社は
『井原 西鶴』縁の地。
というのも
その昔『井原 西鶴』がなんと!
一夜で四千句を読んだといわれ、
“矢数俳諧”が行われた場所でもあります。
その時を表わした銅像が今も誇らしげに鎮座しています。
また、
この神社の下には『参堂の門』があり、
これは1912年(明治45年)に
“ミナミの大火”でこの辺り一帯が焼けてしまい、
その跡地に元々『宗右衛門町』に通す予定だった
“市電”をここ『千日前』に通したといわれています。
その証として、通りにある
『生國玉神社』の『参堂の門』が建てられ、
その証拠に
『参堂の門』には”大正三年”と刻まれています。
町というのはこうやってできていくんですね。。
堺筋の隠れた名建築
昨日の
ワールドカップすごかったですね!
日本が初戦を勝つことが出来るとは!
オランダ戦は今週土曜日。
街から人がいなくなりそうです。。
さて。
大和屋本店の西側をはしる『堺筋』。
この『堺筋』は『御堂筋』が出来るまで、
昭和12年ごろまでは
大阪のメインストリートとして週末は多くの人たちが訪れていました。
この『堺筋』。
現在もそのころの名残が多く残っているんですね。
今日は、
その一つを今日はご紹介。
灰色の無機質な建築群のなかで
一際目をひくアールデコスタイルの建築。
『生駒ビルヂング』。
平野町が賑わっていた昭和5年。
まだ時計が高級品とされていたころに
『生駒時計店』が本店として建てたのがはじまりで、
正面左側は時計店にちなんで振り子を模しているんだそう。
設計は
大阪の建築界を支えた一人、
『宗兵蔵』の宗建築事務所が請け負い、
他にはないモダンな建築で人々の目をひいたそうです。
現在は、
一階にカフェが入り、
その当時を思い浮かべながら
ちょっと一息するのもいいかもしれませんね。。