「大阪」の記事一覧
大阪にあった四ツ橋はどこに?
今日は広島からの修学旅行生が
約100人お越しになられました!
入館式でのあいさつで、
代表の女の子が、
何度も練習してきたであろうスピーチを
がんばってする姿を見ると
この仕事をやっていて良かったなと思いました。
さて、今日は
『御堂筋』の西側にある
『四ツ橋』をご紹介。
この『四ツ橋』。
名前の由来はその名の通り、
“四つの橋”があったから『四ツ橋』と呼ばれています。
では、
その“四つの橋”はどこにあったのでしょうか??
その橋をひも解く鍵は
『四ツ橋筋』と『長堀通』にあります。
その昔、
『四ツ橋筋』と『長堀通』は“川”でした。
この二つの“川”は交わりあい、
その丁度、十字の形になるところに、
『上繁橋』 (北側)
『下繁橋』 (南側)
『吉野家橋』(西側)
『炭屋橋』 (東側)
の“四つの橋”が架けられていたところから、
その名前が呼ばれています。
現在、
横断歩道を渡るところに“橋”の由来の碑があり、
小さな橋が架けられています。
横断歩道を渡るとき、気をつけて見てください!
日本一短い商店街!
今日は五月の真ん中。
そのわりに、
すごくヒヤッととする寒さです。
その分、夏は暑くなりそうですね。。
今日は大阪にある日本一を一つご紹介!!
『日本一長い商店街』は
『天神橋筋商店街』で有名ですが、
逆に、
『日本一短い商店街』も大阪にあるんですね!!
その商店街は、
『肥後橋商店街』といいます。
全長約79m。
店舗数は19店。
『天神橋筋商店街』とは反対に
そのコンパクトさが際立っています。
また、
この商店街のおもしろいところは
『日本一短い商店街』を
“ウリ”にしているところ。
ちゃんと商店街の中央に大きな“幕”で
『ようこそ!日本一短い肥後橋商店街へ』
と書いています。
興味のある方は、
『日本一長い商店街』と『日本一短い商店街』
両方、行ってみて下さい!!
http://higobashi-st.com/
大阪で道に迷ったら②
今日は修学旅行で
小学生が
大勢お越しになられました。
あの頃が懐かしい・・・。
修学旅行での楽しみの一つは、
『自由時間』ですね。
初めて行った町を自分達だけで
ブラブラするのがワクワクしますね。
しかし。
あまり調子に乗りすぎると、
道に迷って集合時間に戻れなくなってしまうんですね。
(そんな人いましたよね。)
そんな時。
大阪での街歩きのヒント!
大阪にある
『○○筋』の多くは南北に通り、
『○○通』の多くは東西に通っています。
これが分かれば
今どっちに向かって歩いているか分かりますよね。
でもちゃんと地図が読めれば問題ありませんが・・・。
大阪、御堂筋物語
今日も朝から五月雨。
最近、
折りたたみ傘派が増えたような。
実は私もそうなんですが。
よく電車の中に忘れるもので・・。
今日は
大阪の『大動脈』の『御堂筋』の話。
大阪の市民や議員たちから
『こんなところに飛行場でも作る気か!!』
と、罵声を浴びたのは
時の第七代大阪市長
『関 一』市長
というのも、
『これからの大阪は経済都市へと発展する。
そうなった時のために大阪のキタとミナミを結ぶ道路や鉄道が必要や!』
という思想をもとに大阪の都市改造が始まりました。
その一つとして、
淀屋橋筋という細い筋を43.6mにも拡張し、
その筋をミナミへと距離を伸ばしてそのすべてを道路して
さらに!その道路の下に地下鉄を走らせるという計画でした。
これには自分たちの先祖代々から受け継いで住んでいる
多くの町人や住民たちが
『私たちの生活はどうしたらええねや!』
『ここを出て行ったら商売できへん!!』
など、猛反発!
(そりゃそうですね。)
しかし、
『関 一』市長は
これからの大阪発展のためにと説得を続け、
昭和12年の今日。
梅田~難波、4.4kmにもなる
『御堂筋』が完成しました。
私たちが何気に使っている道路や地下鉄は、
さまざまな人たちの
生活や人生のうえで成り立っているのを考えないといけませんね。
『大阪にえらいごっついもんが!!』
今日は昨日と打って変わって雨模様。。
降ったり止んだりで
傘を忘れてしまいそうです。。
『大阪にえらいごっついもんが!!』
と言ったとか言わないとか、の話。
今からさかのぼること、
130年以上前の明治七年の今日。
大阪のキタ。
見渡す限りの湿地帯に大きな西洋の建物が出来ました。
その名も、
『梅田ステンショ』
その建物には蒸気をけたたましく吐く
黒い鉄の塊が!!
それが勢いよく走りだす姿を見て
当時の人々は、
『大阪にえらいごっついもんが!!』
と言ったとか言わないとか。
それは何を隠そう
『蒸気機関車』。
今の私たちの生活ではその古さで驚きますが、
当時の人たちにしたら
今で例えるなら、
家の隣に宇宙ロケットがきたようなもの!?
実は、
当時、栄えていたミナミや船場あたりなどに作る予定があったそうですが、
その得体の知れなさに住民たちが断固拒否したんだそう。
そのため、
当時、何も無く人も住んでいなかったキタに出来たといわれています。
今、
当時の人たちが見たら
『キタにえらいごっついもんが!!』
と言いそうですね。